豊島区といったら東京都に近い副都心として利便性がよく、自然が豊かな街として人気がある街です。昔からある街だと思う方が多いかもしれませんが、現在の姿になるまでにはおよそ90年の時間がかかっています。
本記事では、豊島区の歴史や歴史的な人物についてのお話や、豊島区が現代の姿になるまでをわかりやすく紹介します。
豊島区の市町村(村はなし)は20地域です。東池袋サンシャイン60は別に住所として存在していますが、サンシャイン60を除けば20地域が豊島区に含まれているのです。
お年寄りの原宿で知られている巣鴨も実は豊島区です。駒込や雑司ヶ谷なども豊島区に含まれている地名ですね。現在はサンシャイン60を除いて20地域ですが、戦前は少し違っていました。
たとえば、長崎地域はもともとは埼玉県でしたが、1871年に東京へと編入になった街です。また、1889年ごろは豊島区ではなく豊島郡でした。
1943年7月1日に豊島区が発足し、それにつれて村から町へと村名も変更になったのです。
実は、1940年代に豊島氏という一族がかつての豊島郡を治めていました。そのため歴史上の人物から名前をとったのでは?と思われがちですが、実は豊島氏は豊島区より北区や練馬区に強い関りがありました。
そのため歴史上の人物が名前の由来になっているといった根拠はありません。しかし少なからず歴史上の人物との関係があったのは事実です。ではどうして豊島区と名がついたのかをお話しします。
実は、最初の区名は「池袋区」でした。しかし「目白区」の方がいいのではないか?といった話も出たため、目白区へ変更が決まった矢先、最終的に「豊島区」と決まったのです。
ソメイヨシノは桜の品種で、日本の国の花としても有名です。実は豊島区はソメイヨシノの発祥の地でもあります。ソメイヨシノの名前の由来は、江戸時代に染井村の植木屋が交配してできたからです。
そもそも江戸時代後期の桜は、盆栽として楽しむために作られていましたが、盆栽が江戸の町に植えられていったのです。こうして日本各地だけではなく世界中にソメイヨシノが愛されるきっかけとなりました。
実は、ソメイヨシノだけではなくツツジも有名で、ツツジは区の花として登録されています。
日本ではそれぞれの地域の鳥も設定されています。豊島区の区の鳥は「ふくろう」です。よく池袋のあちらこちらにふくろうのオブジェが飾られています。池袋だからふくろうなのかと思う方も多いかもしれませんね。
しかし、実は豊島区の鳥がふくろうに設定されている理由は、むかし豊島区の周辺はふくろうの生息地だったからです。もちろん所説あるため歴史上ふくろうの生息地だったのも事実ですが、ほかにも由来候補はあります。
ひとつが福を呼ぶからといったものです。確かにふくろうは福を呼ぶ鳥といった話もあるので、由来としてはどちらも納得できます。
池袋はどこに行くにもアクセスがよいため、暮らすにも遊ぶにも快適な街です。実は豊島区は鉄道の発展と密接な関係があります。もちろん豊島区だけではなく、東京全体が鉄道の歴史とともに発展してきました。
特に豊島区は世界第2位の乗車率を誇る「池袋駅」が有名です。そもそも豊島区は歴史をたどると、危険な辻斬りが出没する街だったのです。歴史資料を見ると、当時の街は灯りもなかったため辻斬りなどが横行していたそうでした。
しかし、鉄道ができると徐々に街は発展していき、安全な街へと変化していったのです。そして現在では池袋には多くの鉄道会社が乗り入れし、地価も安定して不動産価値が高い街へと変貌を遂げたのです。
特に池袋駅周辺には、デパートなど百貨店が立ち並び、資産価値も高くなっています。
本記事では、豊島区の歴史についてご紹介しました。ソメイヨシノ誕生の歴史や、区になってからの90年の歴史を見ると、愛される街になった理由もわかるような気がします。
近代産業の採用情報はこちらからご覧ください。