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コラム




2023.09.27

現代とはどう違う?江戸時代の池袋はこんな場所

池袋といったら大きな駅ビルやサンシャイン60がある街といったイメージが強いかもしれません。最近では再開発によってさらに利便性が高い街へと変貌していますよね。しかしそんな池袋の昔の姿を想像したことはありませんか?

本記事では、大都会池袋を江戸時代までさかのぼって調査してみました。ぜひ江戸時代の池袋の様子をイメージしながらご覧ください。

江戸時代の池袋は静かな農村だった

江戸時代の池袋は静かな農村だった

高層ビルがたくさんある現代の池袋からは想像できないほど、江戸時代の池袋は静かな農村が点在する場所でした。当然今とは比べ物にならないほど人口は少なく、周囲には田んぼそして畑が広がる村だったのです。

これは『分間大江戸図』という当時の地図に記載されています。分間大江戸図は、当時の江戸の各地の地図が昔の状態で記載されたもので、国立国会図書館デジタルコレクションでご覧いただけます。

当時の池袋の街は、豊島区にすら含まれておらず『池袋村』という名称でした。ちなみに上板橋や下練馬など隣接している村も田畑が広がる農村で、現代の高層ビルがある付近には何もない地域だったようです。

この頃賑わっていたのは池袋村ではなく、雑司ヶ谷村や一鬼子母神のある付近だけです。

(画像「分間大江戸図」 画像元:国立国会図書館

江戸時代の池袋は静かな農村だった

江戸時代のころから池袋は開発が遅れていた

江戸時代のころから池袋は開発が遅れていた

今でこそ大都会の仲間入りを果たした池袋でしたが、実は池袋の開発はこの頃から他の地区よりも遅れていたようです。その理由が水が多かったためでした。実は池袋には沼や池が多い土地だったのです。

当時の日本では、池や沼が多い場所の開発は整備がしにかったようで、開発するのが後回しになってしまいました。当時の池袋周辺で暮らす方々にとって、周辺の地域がどんどん近代化していくのをうらやましく思ったかもしれません。

そんな池袋に最初の開発の機会が訪れたのが明治時代になってからです。そのきっかけを作ったのが国鉄の池袋駅開業です。つまり江戸時代から明治時代までは田畑が広がる農村だったことになります。

江戸時代のころから池袋は開発が遅れていた

池袋が近代化したきっかけが巣鴨監獄だった

池袋が近代化したきっかけが巣鴨監獄だった

国鉄池袋駅ができても、江戸時代と変わらず田畑が広がっていた池袋では発展を願って国に招致したのが『巣鴨監獄』でした。完成した巣鴨監獄は、明治28年から大正12年9月まで監獄として稼働していたのです。

実は大正12年9月に関東大震災が遅い、巣鴨監獄も大きな被害を被って倒壊してしまったのです。そしてその後は跡地に東京拘置所が作られ、今ではその跡地にサンシャインシティが建設されています。

このように江戸時代から現代までの開発の期間が短いのを知ると、いかに池袋が開発が遅かったのかが伺えます。

(画像「巣鴨監獄」 画像元:Wikipedia

池袋が近代化したきっかけが巣鴨監獄だった

沼や池が多かったゆえの風流な遊び

沼や池が多かったゆえの風流な遊び

他の地域より開発の手が遅かった池袋でしたが、悪いことばかりではありませんでした。なぜならば、池袋でしかできない風流なものがたくさんあったからです。そのひとつが『蛍狩り』です。蛍狩りは蛍を獲る遊びではありません。

池や沼で生息している蛍が群れて光る様子を愛でる遊びです。その場所として人気だったのが『落合』と呼ばれた清流でした。この場所では多くの蛍狩りを楽しむ観光客が近隣から集まってきたと記述される文献も多くあります。

実際、蛍は水がキレイな場所でしか生息できない昆虫です。もちろん今では蛍狩りなどといった遊びができる場所は限られていますが、池袋当時は水がキレイな場所でしか楽しめない遊びもできた場所でもあったのです。

沼や池が多かったゆえの風流な遊び

一般庶民は立ち入り禁止の山も!

一般庶民は立ち入り禁止の山も!

江戸時代には徳川綱吉が発令した『生類憐みの令』によって、人よりも動物を大事にする時代もあったと歴史で習いました。この法令によって苦しんだのは一般庶民だけではありませんでした。

実は武士たちの多くは狩りを楽しむ風習があったのです。武士にとって狩りは士気を高めるための訓練でもあったため、徳川吉宗がこっそりと狩りを行うために池袋を利用していたとされています。

その場所が池袋にある『御留山』で、鷹狩を行っていたこの場所は一般庶民は立ち入りを禁止区域として知られていたようです。現代の池袋だとは想像もできないほど多くの歴史的な出来事ですね。

一般庶民は立ち入り禁止の山も!

江戸時代から栄えた安産の神様『鬼子母神』

江戸時代から栄えた安産の神様『鬼子母神』

江戸時代から人々の信仰を集めていたのが『雑司ヶ谷鬼子母神堂』です。安産の神様として子宝に恵まれたいご夫婦や、無事に出産できるよう願う妊婦さん方がお参りした日蓮宗寺院です。

雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神尊堂は、永禄4年に出土されたものを納めたものです。当時から武士や庶民まで分け隔てなく多くの方々が参拝していました。もちろん現代でも多くの方が参拝されています。

また、雑司ヶ谷鬼子母神堂は国の重要文化財(有形文化財・建造物)に指定されており、毎年開催されるお祭りなども今なお行われ続けています。

江戸時代から栄えた安産の神様『鬼子母神』
ここまで、池袋の江戸時代の様子や現代にいたるまでの開発の様子を紹介しました。特に注目したいのが池袋が池や沼が多く、蛍狩りなど風流な遊びができた地域であった点です。

一方で、池や沼があったために開発が遅れたのも事実です。しかしいったん開発が始まると、どんどん開発が進んで現代のような便利な巨大ターミナル駅へと生まれ変わり、今後もより暮らしやすい街へと変わっていきます。

そんな池袋には大きな自然あふれる公園が4つ残されています。都会の喧騒から逃れつつ都会の利便性の良さを感じられる池袋は、江戸時代から変わらず人々を惹きつける魅力的な街です。

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