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コラム




2024.08.29

当たり前が消えるとき-カフカの魅力

フランツ・カフカという作家をご存じでしょうか。

カフカは、現在のチェコ(当時のオーストリア=ハンガリー帝国)で生まれ、その後保険局員として働きながら執筆活動を行った作家です。

『変身』の著者、といった方が伝わりやすいかもしれません。ある朝、目が覚めると、虫になっていた…というあらすじの作品ですね。

 

実は、今年2024年はカフカ没後100周年ということで、カフカ関連書籍の出版ラッシュとなっております。

執筆者はカフカのファンということもあり、非常に悦ばしい年です。

 

そこで、皆様にカフカの魅力をお伝えできればと思い筆をとっております。

 

カフカの特徴

カフカの作品に特徴的なのは、その奇怪さが挙げられます。

通常、小説というのは、ある程度の起承転結(展開)があり、それに沿って収束していくというものが多いと思います。

しかしながら、カフカの物語は「綺麗に収束」することはありません。あらゆることが未解決なまま終わりを迎えます。

また、カフカの小説は「夢」に例えられる通り、一見不可解な設定で物語は展開します。

『変身』で言うと、「主人公が虫になる」という部分ですね。

 

さらに特筆すべきことは、小説内の主人公の「行動や考えの一貫性のなさ」です。

『審判』において、主人公のKはある日突然逮捕されます。自分が何か重大な事件の被告人だと言うのです。しかし、それが一体何の罪なのか、誰に聞いても教えてはもらえず、それは一切明かされることなく審理が始まっていきます。

もし、自分がそのような状態になったら皆さんはどうしますか?

多くの人は、罪状を知ろうとするのではないかと思います。それはつまり、不明な出来事を解決しようとするということです。しかしながら、Kはそこにはそれほど固執せず、目の前で起こる出来事に場当たり的に対処していきます。

 

カフカの魅力

カフカの小説の不条理的な支離滅裂さも好きですが、私はカフカにおける登場人物のこの一種の不可解さが面白いと思っています。

主人公が一貫した行動を取らない時、一般的な物語の展開に慣れている多くの人は不快感を覚えるのではないでしょうか。

その不快感が起こるのは、私たちは小説を読むときに「神」の視点に立っているからだと私は考えています。

つまり、主観ではなく俯瞰で物語を見ているということです。

しかしながら、これは私たちの実際の生活と一致しているでしょうか。

私たちは、この先に起こる出来事を予測することはできても、事前に知ることは決してありません。日々、起こることをこなしていくことが生活の積み重ねになっています。

Kと同じように「場当たり的に」目の前で起こる出来事に対処しているのではないでしょうか。

それはつまり、「私」が自由に選んで行動しているようで、実際には出来事に動かされているのです。そこに一貫性のある「私」というものは存在しません。その場その場での行動や感情を、後付けで「私」と括っているに過ぎません。

 

そういう意味で、カフカの描写は非常にリアルです。

カフカの描く主人公は、不可解なように見えて、実際のところ私たちの生活を滑稽に写しだしているのです。

 

不条理は本当に不条理なのか

また、カフカの奇妙な設定群も別の観点でとらえることができます。

『変身』の「虫になる」、『審判』の「罪状不明な訴訟」、『城』の「到達不可能な城」、どれも一見現実離れしたものに思えます。

しかし、立ち止まって考えてみると、私たちの生活は「慣れ」と「忘却」で構成されていることがわかります。

生まれた瞬間から、この世界では社会制度や法律、ルールをはじめあらゆるものが既に存在しています。自分で定めたわけではありません。そして、それらすべてを把握しているわけでもありません。しかしながら、私たちはその世界の仕組みに基本的には従って生きています。

これは、まるで『審判』の、罪状がわからないにも関わらず、司法・行政という既存システムの命令に従い、振り回される様子と重なります。

 

また、本来的には最初はあらゆる経験が未知なもの(=現実離れしたもの)だったはずです。例えば、鳥は空を飛びますが、それは朝起きたら虫になっていることとどれほど違うでしょうか。すべてが未知の段階(≒赤子の状態)では、どちらも大差ないものであったでしょう。

 

つまるところ、自分の生きている世界の仕組みが自分のあずかり知らぬところですべて決まっていることを「忘却」し、未知な経験を繰り返すことで「慣れ」ることで、私たちは生活を成り立たせています。

これは、私たちが知らないものや理解できないものを「わかったふり」をして生きているということです。

その私たちの「わかったふり」に揺さぶりをかけてくるところがカフカの魅力でもあります。

 

終わりに

わざわざそんな不安になる経験をしたくない、という声が聞こえてきそうです。

しかし、それほどシリアスに読む必要は全くなく、物語の不思議さや滑稽さをそのまま味わうだけでも十分に楽しむことができます。それがカフカを非凡たらしめている理由でもあります。

(実際にカフカは自身の小説を喜劇と認識していたそうです。)

まずは『変身』や『掟の門』のような短い話からでも、是非読んでみていただきたいと思います。

長くなりましたが、それでは。

 

広報担当者K

 

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